つむじ虫

 今、夫はその大きな背中をこちらに向けて、ふて寝をしています。つまりその、
つむじを曲げているわけです。

 わたしはこんなとき、本当に困ってしまいます。つむじという奴、これはなかなか
やっかいなものなのです。

 そんなものは、放っておけばいいのさ、とあなたはおっしゃるかもしれません。

 が、つむじ曲がりを 放っておくというのは、これまた大変なことなのです。
 狭いわたしの家では、夫の大きな背中が嫌でも目にはいりますし、なによりも、
つむじ曲がりが一人部屋にいると何かこう、部屋じゅうの空気が重苦しくよどん
でしまって、一人陽気に鼻歌でもくちずさもうか、というわけにはいかないのです。

 だったら、何とかなだめすかして、つむじをもとにもどしてやったらどうか、と
おっしゃるかもしれません。

 とんでもない!それこそ一番危険なのです。このつむじ曲がりという奴、こちらが
親切にしてやろうなどという気をおこすと、ますます調子に乗って始末におえなく
なるのです。
 
 ためしに今、ありったけの優しい声で、
「きょうは、疲れているのね。肩でも揉みましょうか?」
と話しかけると、
「放っておいてくれ!」
と、これ以上不機嫌な声は出せっこないというような調子で答えがもどってくるだけ
です。

 こんなとき、わたしはこれが本当の夫だとは信じられなくなるのです。
何か悪いものが夫にとりついていて、あの背中にぴったりとくっついたまま、
こちらに向かってアカンベエでもしているような気持ちになるのです。

 結局のところ、つむじ曲がりに対する解決策は、ひとつもありません。わたしは
夫の背中を見つめながら あれこれと数時間、気をもみつづけるだけです。

 そうすると、あるとき突然、夫がこちらを向きなおり、
「やあー。どうしたのかなあ。ごめんごめん。」
とまるで人が変わったように優しい声で言うのです。わたしは、たまらなく夫を
愛していますので、それまでの 数時間のことなど、ケロッと忘れて、むちゅうで
夫の胸の中にとびこみます。でも、きょうは少しばかり違って いました。

 きょう、夫がいつものように、突然こちらを向きなおり、ごめんごめんをやり
はじめたとき、わたしは夫の口から何か小さな虫のようなものがピョコンととび
だすのを見つけたのです。

 わたしは、ポカンとしている夫の前で、 あわてて両手でその虫けらをつかまえ
たのです。
 そうして、台所にある透明な密閉容器の中に、ぴっちりふたをして、とじこめて
しまったのです。

 それは、何ともへんてこりんな虫けらでした。大きさは、親ゆびの先ほどで、
4本の足と2本の触角と一本の しっぽをもっていました。そして、体はぶよぶよと、
青虫のように太っているのです。

「何て、気持ちの悪い虫かしら。」
とわたしが虫をながめていると、
「そんなもの、捨ててしまいなさい。」
と夫が青い顔で言いました。どうやら夫はその気味の悪いものが、自分の口から
出てきたということを信じたくないようでした。
 でも、わたしは、それを捨てたりはしませんでした。
 そのときすでに、ある予感がわたしの心をとらえていたのです。

 そして一時間後、ふたたび台所の密閉容器をのぞいたわたしは、自分の予感
が適中したことを知ったのです。

 わたしは、その虫のかっこうに思わずふきだしてしまいました。
「あなた、見て。つむじ虫よ。」

 わたしは、笑いころげながら、夫に呼びかけました。何とその虫の姿は、背中を
わたしに向けて、ふて寝をしている夫の姿そっくりだったのです。

 翌日、夫がでかけたあと、わたしはつむじ虫をつまみだして、ぐいぐいとしめあ
げました。
「おい、つむじ虫。よくもわたしの夫にとりついて、わたしたちをこまらせたわね。」

 つむじ虫は、はじめはフフンといった顔でにやにやわたしを見つめていましたが、
やがて、わたしの腕力に屈服した のか、ヒィヒィと泣きはじめました。

「た、たすけてくれえ。もうしないから、許してくれえ。」
 わたしは、もう一度指先に力をこめると、
「やい、もう二度と夫にとりつかないか。この家から出ていって、絶対に足をふみい
れないか。」
と、残忍な顔でにらみつけました。
「い、いててて。わかった。約束するよう。は、はなしてくれえ。」

 つむじ虫は、世にもあわれな声でうったえました。わたしはやっと、みじめな
つむじ虫を釈放してやることにしました。

 つむじ虫は、自由にされたとたん、フラフラと目をまわして、そばにあった茶わん
に頭をぶっつけましたが、やがて、得意のにやにや笑いをとりもどすと、皮肉な
調子でしゃべりはじめました。

「ひゃあー、まいった、まいった。あの人のいいダンナにくらべると、まったく
たいしたちがいだよ。こんな家は、こっちのほうから、願いさげだね。じゃあ、
あばよ。」

 つむじ虫はこう言って台所の窓にピョンととびうつろうとしましたが、まださきほど
の痛手からたちなおれないのか、ヨロヨロとテーブルのはしから、落っこちただけ
でした。

 わたしは、ちょっぴりつむじ虫が気の毒になり、そっと窓枠まで運んでやると、
「ねえ、ひまがあったらまた遊びにきなさいよ。」
とつい言ってしまいました。つむじ虫は、よっぽどプライドを傷つけられたのか、
フンと鼻をならしただけで、あわてて 外にとびだしていきました。

  *    *     *    *     *     *     *    *
 あれ以来、夫はつむじを曲げなくなりました。そして、つむじ虫はというと、ちょく
ちょくあそびにくるのです。この間も、わたしが夕食のしたくをしているとき、まな板
の上にすわりこんで、こうぼやいていました。

「まったく、嫌な世の中になったぜ。人のいい人間なんか、めったにお目にかかれ
ないときてる。昔はあっちこっちいたずらして、人間どもをオロオロさせてやった
もんだが、こう誰もかれもつむじ曲がりときちゃあ、こっちの出番がありゃしない。」

 わたしはすっかりおかしくなって、つむじ虫を見つめました。よほどいい住みか
にありつけないのか、ちょっぴりやつれたようでした。やっぱり、この世の中、つむ
じ虫にとっても住みにくいところなのでしょうか。

ところで、どうです、おたくのご主人。もしかして、つむじを曲げちゃあいませんか。

 

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