「おい、塩がでてないぞ。」
朝食のサラダを食べようとして、夫が不機嫌な声で言いました。
「あっ、いけない。ギャーッ!」
私はあわてて席を立とうとして、手元にあったスープの鍋をひっくり返してしまったのです。
「なにをぼんやりしているんだ。はやくふくものを持ってきなさい。それから、鍋をたおした
くらいで、強盗でもはいったような大声を出すのはやめなさい。」
私は、いそいで台所からナプキンを二枚持ってきました。夫は待ちきれないように、それ
をもぎとると、
「まったく、きみはそそっかしいんだから・・・。」
などとぶつぶつ言いながら、きれいにテーブルをふきとりました。
「で、塩は?」
「やだあ・・・。わすれちゃった!」
笑いころげる私を無視して、夫は自ら台所へ立っていきました。ただし、居間の入り口で、
「おい、スカートがぬぎっぱなしだぞ!」
と言い、じゅうたんの上の眼鏡を拾いあげて、
「大事なものは上にあげておけって言っただろ!」
と叫び、あげくには、トイレのドアを開けて、
「もったいない!また、水が流れっぱなしだぞう!」
とどなりましたけれど。
 
そうなのです。このところ、夫はめっきり口うるさくなったのです。
朝から晩まで、小言の種を見つけてきては、ガミガミと言いたてるのです。いくら、ぼん
やりの私でも、こう一日中小言を言われたのでは、たまりません。昔、小言幸兵衛とか
いう人がいたそうですが、もしかしたら、夫はその子孫なのでしょうか。
「あれじゃまるで、口うるさいお姑さんか、風紀係の先生だわ。」
私は思わず口をとんがらせました。
「おい、また片っぽだけ落ちていたぞ。」
そのとき、後ろから声がして、目の前にピンクのソックスが垂れ下がりました。

 
「まったく、もうがまんできないわ。」
その日、私は思いきって親友のキリコの家を訪れました。キリコは不思議な女性で、
一日中、風変わりなジュースを作っているのです。私がなにか相談をもちかけると、決ま
って特別の効きめがあるジュースを持たせてくれるのです。
今日も私の話を聞きおえたキリコは、
「ゼイタクな悩みね。」
と笑いましたが、やがて、テーブルの上の野菜かごをかかえると、台所へ立っていきま
した。
ザーッ、ザーッ、ザーッ・・・と何度かミキサーの音がして、しばらくすると、キリコがいつも
の容器を持って現れました。
「まあ、きれい・・・。」
私は思わず、容器の中の野菜ジュースに見とれてしまいました。そのジュースの色は、
七色に光る虹色だったのです。
「さっそく、これをご主人に飲ませてごらんなさい。まる一日の間、とっても楽しいことが
おこるわ。」
こう言って、キリコはいたずらっぽく笑いました。

                           
その晩、帰宅した夫は、虹色の野菜ジュースを飲みほすと、またまた小言を言い始め
ました。
「おい、テレビがつけっ放しだぞ。」
そのときです。小言を言った夫の口から、何か光る小さなものが、ポロポロとこぼれ
落ちたのです。
私はあわてて、床に散らばった光る粒を拾い集めました。
「まあ、かわいい。」
なんとそれは、虹色に光るこんぺいとうだったのです。私はすっかりうれしくなって、こん
ぺいとうを口の中に放りこみました。
すると、どうでしょう。こんぺいとうは口の中ではじけると、不思議な音を立てたのです。
私はその音を頭の中でつなげると、思わずふきだしてしまいました。それは、とぎれとぎ
れでしたが、
「オ・イ・テ・レ・ビ・ガ・ツ・ケッ・パ・ナ・シ・ダ・ゾ。」
と聞こえたからです。さっきの夫の小言が、すっかり、このこんぺいとうに化けてしまった
らしいのです。
夫は呆然として、ことの成りゆきを見守っていましたが、やがて顔を真っ赤にして怒り
だしました。
「また、妙なジュースを飲ませたな。まったく、きみの友達にはロクなやつがいないじゃ
ないか。今度、こんなものを飲ませたら、お尻をペンペン・・・。」
夫の声は、だんだん小さくなってとぎれました。なぜなら、その間にも、虹色のこんぺい
とうは次々にこぼれ落ちて、私はそれを拾うのに、夢中になっていたからです。夫はきま
り悪そうに口に手をやると、プイと横を向いて黙りこんでしまいました。


この日ほど愉快だったことはありません。
夫はきゅうに怒りだしたかと思うと黙りこみ、しばらくすると、また思いだしたようにどなり
始めました。
その間にも、虹色のこんぺいとうは着実に増え続けていくのです。私は、時々つまみ
喰いをしながら、こんぺいとうをキャンデーボックスの中に拾い集めました。こうなってくる
と、ふだんは耳ざわりな小言も楽しくてしかたありません。
反対に、夫のほうは見るもあわれでした。いくら小言を偉そうに言っても、こんぺいとうが
とび出してくるのでは、全然サマになりません。一度などは、こんぺいとうを自分で飲み
こもうとしましたが、それが、夫の口の中ではじけると、苦虫をかみつぶしたような顔に
なりました。
自分の小言を改めて聞くというのは、あまり気持ちのよいものではなさそうです。
そんなわけで、一日が過ぎて、ジュースの効きめがなくなるまで、私はキャンデー
ボックス三箱にいっぱいのこんぺいとうを集めることができたのです。

     

それからというもの、わが家の幸兵衛さんは、少々おとなしくなりました。私は夫が小言
を始めると、虹色のこんぺいとうをとり出して、わざとカリカリとかんでやるのです。
すると、たちまち夫は真っ赤になって、口をつぐんでしまいます。キリコの野菜ジュース
は、絶大なる効果を生みだしたようです。

そうそう、もちろんキリコにも、お礼としてこんぺいとうを一箱、プレゼントしました。一人
暮らしの彼女は、たまには小言の味をゆっくり楽しんでみたいと言うのです。

もしかしたら、小言幸兵衛を夫に持つことも、けっこう幸せなことなのかもしれません。

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