「ほら、トースト焼けたわよ。ああん、手じゃなくて、お皿を出して！熱いから」 「ほあーい」 いつもの、妻と息子のやりとりだ。 そして妻は、三人分のコーヒーをいれると、まず、最初のマグカップを、私の前に置いた。 「おはよう、パパ。はい、コーヒー」 この瞬間が見たくて、毎朝モニター室に通っていると言ってもよい。残念ながら、大好きな コーヒーの香りは、ここまで届かないけれど…。マグカップは、夫婦お揃いのものだ。 結婚記念日の度に、私は、お揃いのカップをプレゼントしていたのだ。それを、妻が一人 で使うことになるなんて。残酷なことをしてしまった、と少し後悔している。 　カップを出す妻の顔を見ると、その日の妻の状態がわかる。何十年も見てきた顔なの だから。疲れているとか、ストレスをためているとか、悩み事があるとか、ひどく落ち込ん でいるとか…。妻と目が合ったとき、私は全身全霊をこめて、（がんばれよ）とサインを 送るのだが、妻には届いているだろうか。 「不思議ねぇ。その日によって、パパの表情が変わって見えるのよ。気のせいかしら？」 　そんなふうに、妻が息子に言っているのを、聞いたことがある。ひょっとしたら、少しは 伝わっているのかもしれない。 　コーヒーを飲んでいる妻の後姿に、年齢を感じることもある。丸く猫背になった妻が、 ため息をついていたりすると、私は本当に悔しくなる。どうして、妻を置き去りにして、 こんなに早く、こちらに来てしまったのだろう…。妻の背中をポンと叩いて、「大丈夫さ、 僕がついているから」と言ってやれたらいいのに…。 　私は結局、自分の無力さに打ちひしがれて、モニター室を出ていくのだ。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　next