| ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ その日は、案外早くやってきた。妻が私の写真の前に、コーヒーを出し忘れたのだ。 朝食をとる妻の背中は、しゃんとして少し緊張しているようだった。 見慣れないポロシャツを着ている。妻の趣味ではないから、何かのユニフォームなの かもしれない。 大きなかばんを持ち上げると、寝ぼけた息子に、 「じゃあ、もう出かけるから。戸締り、しっかりね。ゴミ袋もおねがい！」 と言い、はっとしたように、私の写真を振り返る。 「ごめんね、パパ。コーヒー、忘れちゃった。帰ってきてから、ゆっくりね。じゃあ、行って きます！」 妻は、私の目を見て笑いかけると、何かを決心したように、「よし！」と自分に号令を かけて、出かけていった。久しぶりに、妻の目が生き生きとしている。 妻はきっと、仕事を始めたのだ。不器用な妻に、容易に勤まる仕事があるとは思え ない。きっと、たくさん苦労するだろう。世間の厳しさは、私も知り尽くしている。だが、 妻も、とにかく一歩を踏み出したのだ。私も、前に進まなくてはいけないだろう。 モニター室に来る回数を、少し減らしてみようか。明日から、天国名所ツアーに参加 してみよう。妻がいないのに、一人で景色を見たって仕方ないと思っていたけれど。 先によいコースを見つけておいて、妻がやってきたとき、案内してやるのも、いいかも しれない。天国の新居にも、もっと手を入れよう。庭には、妻の好きなコスモスの種を 蒔いて、隅にはハーブガーデンも作って…。 私は、妻の驚き、喜ぶ顔を思い浮かべながら、そっとモニターを閉じた。 THE END  |