　洋菓子作りのポイントは、何といっても、正確な計量です。
小麦粉、砂糖、バター、卵。きっちりと量ることが、成功のカギなのです。
「ええっと、小麦粉百グラム・・・。あと少し。」
と、私が真剣な顔で、キッチンスケールの目盛りを見つめていたときです。

「ストップ！そこまで・・・。」
と声がして、いつのまにか玄関に上品な老婦人が立っていました。
私は、粉のついた両手をエプロンで払いながら、たずねました。
「あのう・・・。どちらさまですか？」
「秤売りです。」
老婦人は、高く澄んだ声で答えました。
「量り売り？一体何の量り売りですか？」
「いえ、私は秤を売っているんですの。」
老婦人は、にっこりと笑うと、上品な柄の風呂敷包みをはらりとほどきました。
「まあ・・・。きれい・・・！」

　私は思わずうっとりとして、老婦人の手元を見つめました。
　それは黄金色の秤でした。あちこちに装飾がほどこされ、二人の天使が、やはり黄金色
の計量皿を捧げ持っています。
「この秤を使えば、あなたのお菓子作りは、ますます楽しくなるわ。」
　老婦人は誘うように笑いました。確かに、これほど素敵な秤は見たことがありません。
部屋のどこかに飾っておくだけでも、優雅な気分になれるような気がします。

「でも、高いんでしょう？私にはとても・・・。」
「ミラノのアンティークショップで買い求めたものです。純金製ですから、確かに高価なもの
です。でも・・・。」
と、老婦人はいたずらっぽく笑いました。
「お金はいりません。あなたの、その秤と交換していただけないかしら？」
「えっ？こんな安物とですか？」
「このところ、その、目が悪くなってしまって・・・。少しでも見やすい方がいいんですの。」

　私はすでに、老婦人の持っている黄金色の秤が、たまらなく欲しくなっていました。
「よろしいこと？あなたの秤と、私の秤を交換しますよ。」
（待って！）
と叫ぼうとした瞬間、私は老婦人の瞳に見つめられ、動けなくなってしまいました。

　私がはっと気づいたとき、キッチンのテーブルには、二つの秤が並んでいました。
老婦人はどこにもいません。
黄金色の秤の下には、一枚の手紙がはさんでありました。

（ごめんなさい。私が交換したのは、あなたの心の中の“幸せの秤”です。昔は私も、一個
のケーキを焼くだけで幸せになれました。でも、何もかも手に入れてしまった今、私の心の
秤は全く動かないのです。しばらくの間、あなたの幸せの秤を私に貸してください。）
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　それ以来、私の心は、どんなにうれしいことがあっても、ときめかないのです。
そして、あの純金製の秤は、どんなに重いものを載せても、決して針が動きません。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　